人の目

いつも、、びっくりするくらい(びっくりされるぐらい)

人の目を気にして生きてきた。

そして、そう思うたび「もう、どうでもいい」という気持ちも湧き上がってくる。

その繰り返し。

 

どう思われているのか?

私の発言は、良かったのか?悪かったのか?

結局、的はずれなことを言っていただけなんじゃないか?

あそこで、意見なんて言わなければ良かった。

あんな風に手を挙げなければ良かった…。

 

昨日今日の出来事でも、そうだけれど、

もう何年も前の出来事も、同じように思い出して、

自己嫌悪することもある。

忘れたいのに、忘れられない記憶だったりする。

きっと、周りの人は、そんなこと気にもとめていなくて。

私がそう思ってる(思ってた)なんて、夢にも思ってないと思う。

他人が思っていること、感じていることって

それぐらい分からないよね。

 

誰が悪い、良いという話ではなく、ただ私はそう感じて生きていた、ということ。

そして、最近はそれが苦しいんだということに気がつけるようになった。

人との関わり、コミュニケーションは大切だと思う。

でも、その場その場で、瞬間瞬間で対応しなければならないコミュニケーションがとっても苦手。

だからこそ、手紙やメールでのゆったりしたやりとりが好きなんだと思う。

 

早いテンポで進む会話を、第三者として聞くのは楽しい。

TVとかね、芸人さんのやりとりとか、本当に尊敬する。

 

でも、現実世界(オンラインも含む)で

自分自身がやりとりをしなければいけない会話がすごく苦手。

 

それを克服しなくちゃ、したほうが良い、こんな私はダメだ。

そう思い続けてきたけど…

今は、そうは思ってない。

不得意なら、今は無理してやらなくて良い。

必要最低限だけで良い。それで、やっていける。

挨拶は笑顔でするけど、それ以上のコミュニケーションは無理しない。

 

これから、子どもを通じて、関わりの輪はどんどん広がっていくと思うけど…

自分が無理してまで、しなくて良いと思ってる。

そのあたりは、子どもたちとも話しながら、子どもが得意なところは伸ばしてあげつつ、

子どもも無理なく生きてほしいと思っている。

 

苦しいのは、もうおしまい。

今までは、苦しくてなんぼ、苦しまなければならない、と思っていた。

けど、もうしんどい。

だから、良いの。

楽〜に、力を抜いて、生きていく。

 

何歳だって、いつだって、

行きたいところに行ける。

やりたいようにやれる。

 

そうやって、生きる。

 

感謝を込めて。  誕生日の夜に。

 

 

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